名古屋地方裁判所 昭和46年(ワ)2385号 判決
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〔判決理由〕一、被告が昭和四六年六月七日午前一〇時ころ豊橋市牟呂町所在の訴外中村工業有限会社(本店所在地名古屋市)ハウス建設作業現場で杭用杉丸太をもつて亡呉世秀の頭部を殴打、転倒させたことおよび右呉世秀が同日午後七時三〇分ころ豊橋市内所在の江崎病院で死亡するに至つたことは当事者間に争いがなく、右事実に<証拠>を総合すると、被告は、前記日時ころ、前記ハウス建設作業現場で、同僚の中村常夫、鈴木功および呉守康こと呉世秀らと一緒に四名で組立式ハウスの土台用の杭打ち作業に従事中、被告が新しく買い入れて大切に使つていた個人持ちの鋸を呉世秀が無断で使用して杭用杉丸太を切つているのに気付いたので、呉世秀に対し「鋸がいたむからやめて呉れ。後は俺が挽くからよい。」といつて制止したところ、かえつて呉世秀から喧嘩腰で「この野郎、調子に乗りやがつて、挽きたければなんぼでも挽け。」といわれ、かつ右鋸を地面に乱暴に投げ出されたことから、さらに同人と「なんだ」、「なにがなんだ、やるか。」などと口論し、押問答の挙句、矢庭に呉世秀から手拳で顔面を数回殴打されるや、被告も負けてなるものかと立ち向い、右両名が殴り合いの喧嘩を始めたこと、ところが、体格もよく、大きい呉世秀(身長一八〇糎)に比して小柄な被告は、いくら腕を振つても、たやすく呉世秀を殴り返すことができないため、次第に追いまくられて前記ハウス建設現場の西南隅外側の廃材置場附近まで後退を余儀なくされ、同所で呉世秀から顔面を激しく殴打し、倒されて、被告はその場に座り込んで仕舞い、中村常夫など前記同僚の制止もあつて、喧嘩騒ぎは一たん静まつたかに見えたこと、しかし、被告としては、そもそも非は呉世秀にあると思うのに、同人から右のとおりほとんど一方的に殴打などされる始末になつたことに憤慨し、素手ではかなわぬとみるや、右現場にあつた杭用杉丸太(直径約八センチメートル、長さ約1.2メートル)一本を手に取り、折柄被告を追つて立ち向つてきた呉世秀の頭部を右杉丸太で強打し、その結果、同人に頭蓋骨骨折頭蓋内出血の重傷を負わせ、そのため同日午後七時三〇分ころ同人をして豊橋市新川町六六番地所在の江崎病院で死亡するに至らせたことが認められ、前示乙第一号証の記載および被告本人尋問の結果中に右認定に牴触するような部分があるけれども、該部分は前掲各証拠に照して信用せず、その他に被告の右加害行為が呉世秀の攻撃に対し被告の生命を防衛するためにやむを得ずなされたものであるとの被告主張事実を認めて右認定を覆すに足りる適当な証拠はない。
そうすると、被告は、右認定の日時、場所で仕事仲間の呉世秀と同人が被告の大切にしていた鋸を無断で使用しているのを見咎めたことから口論し、殴り合いの喧嘩、闘争の挙句、所在の杉丸太をもつて呉世秀の頭部を強打した結果、同人をして頭蓋内出血等の重傷を負わせ、死亡するに至らせたことが明らかであるから民法七〇九条により不法行為者として被害者呉世秀の右死亡のために生じた損害を賠償すべき責任があることはいうまでもない。しかしながら、他方、呉世秀の本件死亡という不幸な結果を招くに至つたそもそもの事の始りを、右認定の事実関係に徴して考えてみると、被告が自己の大切に使つていた個人持ちの鋸を呉世秀が無断で使用して杭用杉丸太を挽いているのを見咎めたことは、若年の呉世秀に対する態度としては些か狭量に過ぎる憾みがないではないけれども、いわゆる職人かたぎの然らしめるところとすれば、それも無理からぬところであるから、呉世秀としては、素直に被告の注意を聞き入れて右鋸の使用を中止すればよく、もしそうしさえすれば、事はそれで収まつたであろうことは推測するに難くない。しかるに、呉世秀は、このような挙に出るどころか、かえつて、被告に対し「この野郎、調子に乗りやがつて、挽きたければなんぼでも挽け。」といい、かつ被告の大事にしていた右鋸を地面に放り出すなどの喧嘩腰の態度に出たため、被告と口論となるや、遂に最初に手拳で被告の顔面を殴打する暴行に及び、そのために前記認定のとおりの右両名の殴り合いの喧嘩、闘争に発展したものに相違なく、そうすると、呉世秀が、被告の鋸を無断で使用したことは兎も角として、これを見咎め、制止した被告の言を素直に聞き入れず、かえつて喧嘩腰の態度をとり、被告に対し先ず殴打、暴行に及んだことは、その後同人の死亡にまで発展するに至つた被告との本件喧嘩、闘争の発端となつたもので、もし、これさえなかつたならば、殴り合いの喧嘩にもならず、ひいては呉世秀の本件死亡を招来するようなこともなかつたであろうことが明らかであつて、呉世秀のこの落度はまた同人の本件死亡の遠因となつたことを否定し難く、しかして、被告の叙上故意に対する呉世秀の右過失の割合を彼比較量するときは、前者を八割、後者を二割と認めるのを相当とする。
二、よつて以下に呉世秀の本件死亡によつて生じた損害額について判断する。
1、<証拠>を総合すると被害者呉守康こと呉世秀は、本籍中国台湾省台南県の呉世(一九二三年二月二四日生れ)を父とし、同本籍の呉氏禎子こと呉禎(旧姓下村禎子、一九二五年一二月二六日生れ)を母とし、その長男として昭和二三年五月一七日兵庫県川辺郡川西町(現在は川西市)で出生し、本件死亡当時、満二三才の健康な未婚の男子であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる適当な証拠はない。
2、被害者呉世秀の損害
(一) 逸失利益
<証拠>によれば、呉世秀は、前記のとおり兵庫県川辺郡川西町で出生後、原告ら両親に連れられ、九州を経て和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に転居し、同所で小、中学校を終え、さらに高野山高等学校に進み、昭和四二年同校を卒業するや、これより先き昭和四〇年ごろから肩書住所地に転居して中華料理店業を営んでいた両親らの跡を追つて来名のうえ、始めのうちは家業の右料理店業の手伝などするほかに、学校法人東海経営学園企業経営学校に通つたり(翌四三年三月同校卒業)、日本商工会議所の簿記検定を受験したり(同年一一月同検定第二級合格)などしていたが、昭和四四年一一月ごろから大和ハウスなる積立式住宅建築会社に雇われ、会員募集の勧誘員の仕事に従事し、歩合給、固定給合わせて一か月平均約九万円の収入を挙げていたけれども、契約が思うように取れなくなつたため在職約七か月にして昭和四五年五月ごろ右会社を止めたこと、そして、呉世秀はその後、昭和四六年四月末ごろから前記中村工業有限会社にハウス組立工として雇われ、本件事故当時は最初の三か月間の見習期間中であつたもので、その間は日給金二六〇〇円を支給され、一か月間に休日などを除き二三日以上就労するものとして少くとも月平均約金六万円程度の給料を得ていたが、近く右見習期間終了後は一か月平均で少くとも金一万円位の昇給をし、月平均約七万円程度の給料を得る見込みであつたこと、したがつて、呉世秀は、本件死亡当時満二三才であつたから、もし被告の前記加害行為により死亡しなければ、右見習期間終了後なお、四〇年間は就労が可能であり、そして、その間、右昇給後の月平均約金七万円程度の給料から生活費としてその二分の一に相当する金額を差し引いた残額金三万五〇〇〇円、年額にすると金四二万円の利益を継続して挙げられたのであろうことが認められ、そうすると、呉世秀は、本件死亡のためこの得べかりし利益を失つた訳であるが、いま、右の金四二万円の年間利益額と四〇年の就労可能年数を基礎とし、ホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すると、右逸失利益の現在価は金九〇八万円(420,000円×21.6426=9,089,892円。ただし、一万円未満の端数切捨)となり、同人は本件死亡によりこれと同額の損害を被つた筋合である。
しかし、亡呉世秀の本件死亡については、この結果を招来した被告との本件喧嘩、闘争惹起の原因の大半を作つた点で、右被害者にも二割の過失を認めるべきことは前記一で述べたとおりであるから、右逸失利益の損害額につき呉世秀の右過失割合をもつて過失相殺をすると、相殺後の右損害額は金七二六万四〇〇〇円となる。
(二) 慰藉料
亡呉世秀がその死亡なる結果を招来した被告との本件喧嘩、闘争惹起の原因の大半を作つた点で同人に前記一で述べたような過失のあることをしんしやすくすれば、呉世秀の右死亡による精神的損害に対する慰藉料としては金二〇〇万円をもつて相当と認める。
(三) 相続
以上(一)、(二)の損害を合算すると、被害者呉世秀の損害額は金九二六万四〇〇〇円となるところ、法例二五条によれば、相続は被相続人の本国法によるものと定められており、そして、<証拠>によれば、被相続人呉世秀の本件死亡当時の本国は中国(台湾)であることが明らかであるから、同人の相続については右死亡当時の本国法である中華民国法(民国一九年一二月二六日国民政府公布、同二〇年五月五日施行)に準拠すべきところ、国民法によれば、遺産相続人は、配偶者のほか、一直系血親の卑親属、二父母、三兄弟姉妹、四祖父母の順序によつてこれを定める(一一三八条)ものとされ、また、同一順序の相続人が数人あるときは人数に応じて平均に継承する(一一四一条)ものとも定められている。したがつて、呉世秀が本件死亡当時満二三才の未婚の者であつたことは前記1のとおりで、配偶者はもちろん、右にいわゆる第一順序の直系血親の卑親属はないものであるから、その遺産相続人は第二順序の原告ら両親だけであつて、その相続分は各二分の一ずつであるものと解され、この相続分に応じて被害者呉世秀の前記損害額金九二六万四〇〇〇円につき原告らの各相続額を計算すると、各四六三万二〇〇〇円ずつとなる。
3、原告ら遺族の損害
(一) 慰藉料
原告らは被告の本件加害行為によりその長男守康を突如失つたもので、その歎きや悲しみはいかばかりか、察するに余りあるが、これに本件証拠にあらわれた諸般の事情を考慮し、かつ右長男の死亡なる結果を招いた同人と被告の本件喧嘩、闘争惹起の原因の大半を作つた点で被害者にもすでに述べたような落度のあることをあわせしんしやするときは、長男守康の本件死亡によつて原告らのそれぞれ彼つた精神的損害に対する慰藉料としては各金七〇万円ずつをもつて相当と認める。
(二) 葬儀関係費用等
<証拠>によれば、原告呉世は、亡呉世秀の本件死亡のため、(イ)、葬儀関係費用として合計金四三万四九八四円、(ロ)、仏壇購入費として金一〇万五〇〇〇円、(ハ)、墓碑建立および墓地永代使用料等として合計金六一万四四〇〇円以上を支出したことが認められので、右支出金中、(イ)の葬儀関係費用のうち金三〇万円、(ロ)の仏壇購入費金一〇万五〇〇〇円、(ハ)の墓碑建立および墓地永代使用料等のうち金二〇万円、以上合計金六〇万五〇〇〇円は被告の本件加害行為に基づく呉世秀の死亡のために支払を余儀なくされたものとして原告呉世の損害にあたると認めるけれども、その余の支出金額については被告の右加害行為と相当因果関係のある同原告の損害と認めることはできない。
4、原告らの各損害総額
以上2の(三)の原告らの相続した損害と3の(一)、(二)の原告ら固有の損害を合算すると、原告呉世の損害総額は金五九三万七〇〇〇円、原告呉禎のそれは金五三三万二〇〇〇円となる。<後略>
(岡村利男)